今日、実家の母親に電話をしたら、もう栗拾いは終わった。
だからさみしい、と申しておりました。
近所に小さな山があり、そこへ、お友達と一緒に出かけていたようでした。
ある日のこと。山にふっと風が吹いて、そうしたら、あちこちの栗の木から、ぽとり、ぽとりと、栗が落ちてきたのだそうです。
それを見て、母のお友だちが、今度は、栗の落ちる音を聞きながら、お弁当を持ってここに来たら楽しいでしょうね、とおっしゃったそうです。
その方なんて素敵な方なのでしょう、と思いました。
すぐそばに、それなりに潤沢に実の拾える栗の木があるといっても、実家があるのは地方都市ですが、市役所から歩いて15分ほどの距離です。
田舎は自然が豊かなのですね。
家の近所の、玉川上水沿いにも、栗が落ちていました。
銀杏も。
意外と都会でも、サバイバル出来るのでしょう。
数年前、アパートの下の階の人が、女性なのですが、長い間失業していた時、いよいよ食費も底をつき、歩いて出かけて野草を穫りに行っては、それを料理していたと言っていました。
ボーイッシュな人で、「これがあれば、穫れるのよ」と、胸ポケットから、おそらく舶来のアウトドア用のナイフを取り出す仕草が妙にかっこよかったのが記憶に残っています。
たくましさとは美徳ですね。