食べもの変えたら、人生変わった。3

 

「玄米・菜食」生活は、思っていたより楽しいものでした。

まず玄米。道場に圧力鍋があったので、それで炊くのですが、もちごめのようにもちもちしておいしい!

「玄米ってこんなにおいしかったんだっけ?」おどろきでした。

 

おかずは、マクロビオティックの本に書いてあるものを作っていきました。

感動したのは“車麩のフライ”。

車麩を戻して、お醤油とみりんとだしで下味をつけて、それを軽く絞って、衣をつけて油で揚げます。お肉みたいにボリューミー。噛むとじわっとだしが出てきます。おいしい!

道場に来るまでは、食の嗜好は肉食系女子に近かったので、こんなにトンカツみたいに食べ応えのあるものが作れるんだったら、菜食でもやっていけるかも、とにわかにやる気になりました。

むしろ、食べるときにお肉の脂身をよける心配をしなくても済むから安心だし、何よりも食べたあとずしっと胃にもたれないのが、快適でした。

 

朝は玄米とお味噌汁に納豆。

お昼はパン焼き機で作るパン。それにスープやサラダ。

夜は、ちょっと手の込んだ料理。

それらを作る日々。

 

こう書くと、どこがうつか?という気がしてきますが、道場に来たばかりの頃は、心療内科にも通っていて、処方された薬を飲むと体がどんよりして、頭もぼーっとして、外の掃除をするようにと箒をもたされても、掃除をする気にもなれず、死にたいとしか、思っていませんでした。

食事係を任命されたのは、何が得意ですかと尋ねられ、得意なものは何もありませんが料理は好きです、と言ったら決まっただけで、道場では、療養させてもらっていましたが、システムとしてはスタッフ扱いで、毎月、滞在費は払い、道場のお仕事もお手伝いさせていただきながら、ヨガの修行をさせていただく身分でした。

 

食事は、修行のために道場に集まる方々と、スタッフの分を作らなければなりません。

ただでさえうつなので、ものすごいプレッシャーです。

最初の頃は、献立を考える作業も出来ず、泣いていました。

うつの時は頭がもやもやもやもやしているので、考えがまとまらないのですね。

 

そんな状態で道場にいられたのは、スタッフの方に助けてもらえたからで、幸運でした。また、当時はオウム真理教事件の生々しい記憶がいまだ世間的には忘れさられてはおらず、ヨガはあやしいものとみなされていて、道場は閑古鳥が鳴いていました。

基本的にひまだったのです。

忙しいのは時々。だから私のような半病人でも、かろうじてスタッフの役が勤まったわけです。

 

そして、私が食事係だったので、食事も自由に「玄米・菜食」に変えられました。

 

今から思い返せば、毎日、朝と夕食に玄米を食べる事で、格段にお通じがよくなり、しかも決まった時間に訪れて、体のリズムが整っていったような気がします。

 

マクロビオティックのお料理は、変わっていて、いままで作った事のないような、別種のお料理でした。